悪夢のような(楽しかったけど)高校時代の後は…、
華の大学生活。この当時、流行したのはディスコですなーっ。「サタデイナイト フィーバー」という映画、覚えていますか?ビージーズの曲に合わせて、ジョン・トラボルタが踊ります。このころは、ほとんど映画三昧。「スター・ウォーズ」や「ミスター・ブー」など、SFからカンフー映画まで、ほとんど観に行っていましたねェ……1人で。
インベーダーゲームが流行り(確か、郷ひろみがあの機械を50万円で購入したというニュースもありました)、テクノポップが流行し、私は漫画研究会に入部していました。それなりに楽しかったけれど、あまり明るいサークルではありませんでした。
絵が上手で「プロになる」と大学を中退し、漫画家Nのアシスタントになったものの大喧嘩をし、消えていったD君。少年マジガンで賞を取り、勤めを辞めて雑誌に連載を始めたもののいつの間にか終わり、今はどうしているかわからないI先輩。就職せず「東京に出てプロになる」と言い残し、フリーアルバイターになってしまったG先輩。4浪の末8年間の大学生活を過ごし、やっとマンガの連載が決まったものの4話で打ち切りとなり、親に勘当され、後輩からも嫌われていたM先輩など……。
こんな中でタブーだったのが、売れてプロになった人の話題でした。あまり、名前が売れていなくても連載やイラストレーターとして活躍している人はもちろん、いま「作品O」を連載する人気マンガ家のY先輩の話など、タブー中のタブーでした。
「私はプロにならない」(なれない?)と決めていたので、出版社への投稿はしていませんでしたが、卒業時は就職難で決まりかけていた大手珈琲メーカーに4次選考で蹴られ、曼荼羅町役場と地元の製パン事業所しか残っておらず、公務員に落ちたときは漫画家のアシスタントになろうと根回しをしておりました。そのころ、先ほどの悪友、剛浦に「オレ、マンガ家になるかもしれん…」と相談したことがありました。さすがは友達。彼は鼻毛を抜きながら「へーっ、そう。そんときはオレを主人公にしたマンガでも描けよ」と言い、尻を掻きながら吉本新喜劇を観て笑っていました。
私の周囲には「類は友を呼ぶ」とでも言いますか頼りにならんヤツが多く、相談しようと思った私が莫迦でした。ちなみに、この剛浦のエピソードをネタにマンガを描けば、きっとウケるだろうと思っています。
カゼで一日中寝て過ごすというのも、なかなかいいもんです。何となく「また、マンガでも描いてみようかな」っていう気分になってきます。
あと少しでお正月です。来年こそはステキな年になりますよう、皆様のご多幸を祈りペンを納めます。どーも!!
曼荼羅町 企画課 広報広聴係
係長:高祖 宇土 兵隊:泰平 楽 (1990.12.26)
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