曼荼羅町に颱風がやってきた

タイミング的に市制施行特集はまずかったようだ

 曼荼羅町に台風がやってきた。広報10月号の原稿がほぼ完成し、印刷屋に入稿し、ほぼ発行の目途がついた頃やってきた。「来週からは早く帰れる」という淡い期待を打ち砕くかのように、集中豪雨というお土産を持って台風17号はやってきた。府宰大市まで取材に行き(あのときはお世話になりましたァ)、何日も、夜遅くまでかけて作った7ページの特集記事は、激しい土石流と一緒に流れ落ち(ボツ)、大きな穴を災害特集号で埋めるハメになってしまいました。ううっ、広報コンクールに出そうと思っていた号だったのに……愚痴は言うまい、話すまい。言ったところで何になる。

 しかぁーし、今回の台風はすんごかったですねェ。13日に町長が市制施行の所信表明を行い、たくさんのテレビ局が来ていたかと思えば、翌日は集中豪雨の災害で、また、テレビカメラが詰めかけている。もうたいへん。全国放送で町の名前が連呼され、なんだか町が有名になった気分……というのは不埒な考え。

 かーちゃん(奥さんぢゃないよ、母親だョ!)の実家でも床上浸水してしまい、そりゃあもう大変。特に、家の改修で畳替えや白アリ駆除などをし、完成したのが台風直撃前日の13日で、工事費用100万円を支払った翌日に被災したものだから、じいちゃんの落ち込み方もひとしおでした。15日には畳をつくった畳屋さんが、一昨日までは新品だった畳を次の畳を作るために持って行ったとか…。横を流れる川には、新車が尻を出して川底に突き刺さっています。近所の人の車でまだローンが始まったばかりのピカピカの新車だったそうです。

 閑話休題(あだばなしはさておき)、熊本での研修では皆さん、お世話になりました。代八市の広報担当とも再会でき、そりゃあもう、大笑い。じゃが、不思議なことに県内の広報マンとはあまり会うことができず、少々残念でした。(みんな、アホが伝染ると思って避けたのか?)しかし、安革手町の石立君には会場内でイヤになるほど会い(きっと、縁があるのだろう)、なぜか、お土産までいただきました。たぶん、みんなラフな格好で来ていたのに、普段、気慣れないスーツをビシッと着ていたのがまずかったのでしょう。

 なぜ、スーツを着ていたのかって?それは、熊本での大会を前に代八市の広報マンから「かわいい女の子を紹介してあげよう。楽しみに待ってな」との連絡があり、ビシッとスーツを着ていったという訳です。実際どうだったかは、後で書くことにします。どちらにしても、期待しすぎるといけないようですなァ…はははっ。

 そりゃそうと、初日の歓迎レセプションでは、参加者の間を一升瓶抱えてウロウロ(フラフラではないのか?)して、いろおんな“まち”の広報マンとお話しすることができ、満足しています。苦労話を聞かされ、自分の身の上も顧みず「なんて可哀相な人たちなんだらう」と泪がちょちょ切れてしまいました。皆さんの話を集めると「広報マン残酷物語大全集」ができるのではないでしょうか?(まだ、私の方が職場環境はマシ…と思い、明日からの仕事にあきらめに近いファイトが出る本)

 ただ、ちょっぴり残念だったのが、ご馳走には目がない“うっかり八兵衛”のような食いしん坊の私でさえ、あまり、料理にありつくことができず(肥後牛のステーキを2枚も食ったヤツが言うことではないと思うが…)、テーブルにさかる広報マンを見て、ハイエナみたいに意地汚い(馬刺しを3皿も食ったヤツが何を言っている)なぁと思いました。フルーツなんかは食べることができず(肉やイセエビのような高級食材を狙うからなんだけど)ちょおおっと残念。(ちなみに食べ物のことを細かく書くと、さもしい人間に見えてくる(違うのか?))。

 どうやら、県内の広報マンは連れ添って別の会場に行ったようだが、私は代八市の広報マンのお誘い「かわいい娘を紹介してあげるよ」の魔力に勝てず、のこのこと会場を出ました。でっ「すまん、彼女、急に都合ができて、来れなくなっちゃった」「えっ」わざわざスーツを着てきたのに……「うん、来れないんだ」県内の広報マンのお誘いを断ってきたのに…「来ない」どうする?「まあ、安いお店は知ってるから飲もう」おかげで、ビールやウィスキー、お酒をたらふく飲むことになり、次の日は宿酔いで頭がズッキンズッキン、お腹はゴロンゴロン。翌日は、トイレが友達。やはり、抜け駆けは良くありません…。

(平成3年10月号(中)に続く)

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