人生にとって何のプラスもないのに、うれしい

なぜかうれしい・・・

 さて、トイレにこもるのはいいが、和式トイレの場合は痔にならないのか心配だ。あの姿勢のまま数時間じっと耐えるのは辛かろう。その点、洋式トイレは楽である。ただし、便座がお尻に直接ふれるので、神経質な人はあまり好きではないらしい。また冬の寒い日に洋式トイレに座るのはちょっと覚悟がいる。ヒヤリと冷たい。思わず「おひょ」と声を出してしまいそうである。心臓が弱い人は、そのままあの世に持っていかれるのでは…かと心配です。今は加温器のついた便座があり、声を出さなくてすみますが、あれはあれで「今まで誰か座っていたんじゃないかしら?」という疑念も感じ、あまり気持ちのいいものではありません(前に座ってたのが、若いお姉ちゃんだったら…うれしいが、トイレは男女で別々なので、その可能性は微塵もない)。

 最近の技術は日進月歩で、ウォシュレットなどという小憎たらしい便座まで登場した。一度だけ使ったことがあるが、ぬるま湯が肛門めがけて飛んできたときは「おひょ」と声が出そうになる。また、温風で優しくケツを温めてくれるので、クセになりそうです。そう思いませんか?

 このような話は一般的に「下ネタ」に分類されるが、下ネタのもう一つの区分として「えっちな話」がある。このえっちな話、度を過ぎるとスケベな話となり、セクシャルハラスメントになってしまうので要注意。先日、一つ先輩の良林氏と話をしていて、このような話題になった。「最近、ミニスカートの女の子が増えてきたねェ」「うん、少しうれしいですねェ」「電車の中でミニスカートの女の子が足を少し広げて眠っていてね…もう少しでパンティーが見えそうだったよ」「うん、少しうれしいですねェ」「でも、どうして目が行くんだろう。たとえパンツが見えたからといって、人生の何のプラスにもならないし、うれしいと思うこと自体、不思議だねェ」「やはり、男の本能がそう思わせるんじゃないんでしょうか?」このように冷静に考えると、男という生命体は実に哀れである。

 しかぁし、いくら冷静に考えても「うれしい」と感じてしまうのは仕方のないことである。セクハラになるかどうかは、次の行動で区分される。(1)えっちな話は明るく笑い飛ばす(2)えっちな話を具体性を持って分析し、話し手が想像に酔いしれにやにやと笑う。まず(1)は、セクハラになり辛い(もちろん、話し手のキャラクターが大きな要因となるが…)。(2)の場合は、セクハラに陥りやすい。特にこの場合、乾いたえっちな話で盛り上がって大笑いになればそんなに問題はないのだが、盛り上がらずウェットな話になれば、男でも気分が悪くなる。ちなみに、盛り上がらない話を自慢げに話す町会議員と居酒屋などで一緒になったときは、地獄である。

 時の流れは矢のようで、もう31歳、じゃなくて、秋。チンチロリンと虫の鳴く声が、思わず、食欲をそそります。(単なる、食いしん坊)今月は、力を入れた特集号(ボツ)や台風災害や何やらで、たいへん疲れました。このお便りもボリウムを下げようと書きだしましたが、もう6ページになってしまいました(アホです)。今月からは、広報紙を送る自治体が増えますが(かわいそうに、こんな不幸の手紙のようなお便りが毎月送りつけてこられるなんて)、よろしかったら、何かE話があったらお便りください。できれば若い娘を紹介してください。(やすかまちさんよろしくね)

担当:泰平 楽 (1991年9月25日) (平成3年10月号(追伸)に続く)

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