金八先生ならぬ、泰平先生

ちなみに天パーで、直毛ではありません

 昔のお便り(ふふっ、皆さんから送られてくるお便りも保存しているのじゃ。泰平君の気質は公務員なのじゃ)を見ていると、昨年2月号にもマン研のことが登場していました。この時のお便りはたいそうウケた(バレンタインデーについてのくだりのところかな?)ようで、3月の川柳市の1泊研修のときは、いろいろと声をかけていただき、大変お世話になりました。(遺憾、遺憾、もうすぐバレンタインデーが来ることを忘れておった)

 1年が経つのは早いものですねー。この前、とある人物に会って20歳の頃を思い出しました。昨年の暮れのことです。洗車していると移動パン屋の車両が停止し、でっぷりと太った男が車から降りてきました。そして「先生、見て!!」と言って満面の笑みで話しかけてきました。「先生、俺、パン屋になったっちゃが(なったんだよ)」たまに「先生」と声をかけられることがあります。実は、大学生のときにアルバイトで塾の先生をしていたのです。彼らは当時、中学生。校内暴力などが華やかな時代でありました。「おおっ、ヨシキ。お前、太ったねえ。パン屋になったとは聞いとったけど、立派なもんたい」「でへ、泰平先生も太ったねえ」

 脱サラした先輩が始めた塾で、立ち上げ時から手伝っていました。当初は生徒が少なく、入試直前の駆け込み寺みたいな場所で、やんちゃな子や極端に成績が悪い子もいましたが、みんなユニークで心優しい連中ばかり。その後、ヨシキみたいにパン屋などを起業した者、理髪店や農業を継いだ者、一念発起して公務員や九州大学大学院生になった者もいます。夏にはキャンプ、冬には初日の出と子どもたちを引きずりまわし、そのためかすごく信頼され、今でも「先生」と慕ってくれるのです。当時はまだ若く、数学以外は人に教える実力などないのに、先生という立場から、とても偉そう(立派)なことを言っていました。今の自分なら恥ずかしくて、即刻、舌を噛み切って死ななければならないくらいです。

 入試が近づいてきたある日、こんなことを言いました。実際、大半の子が落第しそうだったからです。「もうすぐ試験やね。ちゃんと勉強してるか?」「あ~い(気のない返事)」「この際はっきり言っとくが、落第しそうなやつが多い。自分でわかってるだろ。合格すれば一緒に喜んであげるし、落第すれば一緒に泣いてあげる。俺ができるのはその程度だ。結局お前たちそれぞれの運命で、俺はそれ以上どうすることもできん…」一斉に子どもたちのブーイング。そりゃそうでしょう、夏は幽霊やエッチな話をしていた気のいい兄ちゃんが、唐突に現実的なことを話し出すんだから…。

 「落第したら、先生のせいだからね…」「そりゃあ責任を感じるよ。でもなァ、自分の人生じゃないから心が痛むだけだ」ブーイングの声はますます高まる。「考えてみろよ、お前たち自身のことだぜ。俺に何ができる。せいぜい責任を感じてポーズ頭になるぐらいしかできんだろ(この時、私の髪は肩まであった)」「目標の高校に行きたいんだろ。お前たちの親だって願ってるんだろ」少しブーイングが収まる。「自分の将来は自分で考えなきゃ、誰も考えてくれない。お前たちのことを何より一番考えてくれる父ちゃんと母ちゃんは、いつかは死んでしまうんだ」教室は静まり返る。

 (ここから、ここからが”恥ずかしい”言わなきゃよかったセリフ)「先生にゃ夢がある。漫画家になる夢だ(この時は、そう考えていないこともなかった)。25歳までにはデビューし(もうすぐ32歳)、プロのマンガ家として活躍していることだろう(若いということは、無謀ということ)。お前らが大人になって、漫画家の泰平先生に数学を教わったことを誇らしく思うだろう」役場の広報担当者では誇らしくない。カメラをぶら下げてウロウロしている兄ちゃん(“おっさん”だろ?)でしかない。「俺も頑張るから、お前たちも頑張れ。俺は泣きたくない(本当は、ボーズになりたくない)」その日以来、昼あんどんのような彼らも危機感で勉強に熱が入り、おかげさまで、全員が合格することができたのでした。

(平成4年2月号(四)に続く)

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