よ・よ・よせばいいのにダメ押しの追伸

全然、怖くない…

 う~ん。今月号は20頁といつもより4頁も少ない広報紙だったので、すんなり編集が終わった。別に手を抜いたわけじゃなく、上司から「広報紙を綴る全戸配布用の表紙を作れとトップから要請があった」と指示があり、予定になかった印刷物を補正予算を見越して作成したのが原因。結局、予算がつかず、カラー24頁の予定だった1月号はモノクロ20頁。それでも予算が足りず3月号も20頁(上司とは、うまくいってないのかな?)。そんなこんなで、お便りが書ける時間が、たっぷりとある。

 2月17日は夜遅くまで飲んだくれ、翌18日は校正があるので宿酔いのフラフラした状態で出勤し、朝からトイレがお友達の状態になってのォ。なさけないったりゃありゃしない。昨日、3次会で「もう帰ろう」と言っていた高祖(前広報)係長が、なぜか4次会で蘇り、急に元気になってのう。一緒に日本酒を4杯も飲んだんじゃ、それまで、たらふく浴びるほど飲んでいたにもかかわらずじゃ。まあ、4杯の日本酒はダメ押しというか自殺行為と言うか…はっはっはっ、できることならこのまま家に帰って横になりたい。うえっ。

 おまけにじゃ(ここからは、さらに翌日の19日に書いている)、一昨日の17日には午前1時過ぎまで飲んでいたにもかかわらず、昨日の18日には消防団の集合がかかってのォ、分団の詰め所で12時近くまで飲む羽目となったんじゃ。かなりセーブしたつもりでいるんじゃが、消防団の飲み方は半端ない。連日の深酒で、今朝もご飯が喉を通らない。なんて不健康な毎日なんだろう。明後日の21日は広報紙の表彰式で、釈迦郡3町の広報担当者で中洲に行って飲む(翌22日am2:30帰宅)予定。23日は後輩の結婚式(24日am0:30帰宅)じゃし、24日は先輩と飲みに(25日am0:00帰宅)行く約束だ。

 ほとんど、身体が奈良漬け状態だ。普段はあんまり飲みに行く機会がないのに、固まるときは本当に固まるのぢゃ。(本当だよ、ホント)まあ、兎にも角にも3月5・6日には体調を万全に整えて臨みますたい。(確か、広報研修会という名目の宴会だったと思うが…ははは)ふふっ、県外の広報マンのみなさん、機会があったら飲みましょうね。

しつこく、追伸は続く。

 昨日、午前0時ごろ帰宅すると、深夜だというのにウチの婆ァさんがテレビを観ていました。深夜、ダラダラと放送されている冬季オリンピックです。ちなみにウチの婆ァさんは明治の女。もうすぐ米寿だというのにすこぶる元気です。(本人は、子どものときから体が弱いから、来年のお正月を迎えることができるかどうかわからない…と言っている)数年前、体調が悪いと近所のヤブ医者のススメで大学病院の精密検査を受け、胃は30歳代、肝臓は40歳代の若さと診断。歯もほとんど自分の歯で、医師から100歳まで大丈夫ですよと太鼓判を押され、家族をガッカリとさせていました。

 祖母の名は、富子。毘沙門町3大やかまし婆ァさんの1人です。メンバーは(1)濱地オミヤさん。最近体を壊し車いす生活に突入しそうな状況。気力も衰えメンバーから外れるそうな状況。少し前までは嫁いびりで活躍。(2)大石マルミさん。耳は遠いが体は元気。80歳にもなるというのに訪問販売で荒稼ぎをし、年収は1,000万円を超えていると、祖母・富子は語る。主に健康食品が主たる商品で、サイドメニューに模造真珠等もある。買わないと陰でボロクソに言われるため、安定した客が多い。(3)泰平富子さん。芸なし趣味なし。時々、近所の子供たちを叱りつける。人の道から外れることが嫌いで間違ったことは言わない。それが原因で、数年前、区長と大喧嘩になり髪をわしづかみにされる。翌日、酒を下げた区長が謝りにきたのは記憶に新しい。昨年まで、老人クラブの会長をしていた(前記)。はた目から見たら面白いが、身内になると笑えないことも多い。

 しかし、もうすぐ米寿を迎えようとする年寄りが、夜中の1時、2時まで起きて、オリンピック中継を見ていることが家族とはいえ信じられません。結局、日本の何とかという選手が金メダルを取りそうだという話に始まり、どこかの誰かさんの兄さんの奥さんの従妹にあたる人がどーしたこーしたという話に付き合わされ、長い夜となりました。

 明日は代休で、お休みだい。ヤッホー。……んじゃまた。

担当:泰平 楽 (1992年2月19日(水))

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