行政区老人クラブの仁義なき闘い(その2)

体が弱いという、健康な婆ァさん

 山末さんちの玄関に来た富子「山末さん、みんな集まっとるけん、意固地ば言わんで来なっせい」と山末の婆ァさんに呼びかけます。すると家の中から「私は行きまっしぇん」と応答。「そげん、言わんで…」食い下がる富子。「帰んなっせ、さっさと帰んなっせ」とかなり強い口調で応答。「おキクさん(ボケにより戦線離脱)も清さん(山末さんから言えば裏切者)も来て、和気あいあいとしとるけん、来んですか?」さらに激しい叫び声で「帰んなっしぇい、もう、来てもらいとうなか」との声。ついに話は決裂し「お大事に」の一言を残し、富子は、きびすを返すとみんなの待つ公民館へと歩き始めました。

 200mほど歩いたところで、後ろから「富子しゃん、待ちんしゃい」との声。富子が振り返ると、髪の毛を逆立て、ものすごい形相で追いかけてくる山末の婆ァさん。「はあっ、はあっ、はあっ」(なにせ77歳。興奮して走りゃあ息もキレるは、髪の毛も逆立つわ、顔色も青白くなるわ…そりゃあもう、恐ろしい顔)「ひいいい」たじろぐ富子。陰から様子を伺っていた矢原タエさんも「ひいいい」。「と・と・富子しゃん、あたしゃああたば(私はあなたを)呪い殺しちゃあ!」今でも、祖母・富子は思い出したように何度も言います。「とても怖かった」と…。でも、罪悪感は微塵も全くないようです。

 2年後、山末の婆ァさんは脳梗塞で亡くなりました。富子は元気です。会長という立場で「とても気丈な方でした。今後の老人クラブ活動に期待しておりましたのに、残念です」と葬儀で挨拶をしたのは富子です。2期6年を務め、次に意欲を見せていた富子でしたが、誰も口には出さないが「わがまま」「すぐに威張る」「時間にルーズ」「説教したがる」と嫌われ、矢原タエさんに会長の座を譲ったのでした。ちなみに、富子は「ゲートボールは腰に悪いと、自分勝手な(飽きっぽい富子は練習が嫌になり、周囲の上達についていけず、止めた)理由でゲートボールの助成金を出し渋ったりしており、会員も、会社党が田畑を取り上げたりしないことに気づき、会長は矢原タエさんがいいと思っていたのでした。

 これら一部始終を知っている父・琢也は、老人クラブに入る年齢になっていのに、会員にならず「俺はまだ若い」と会社勤めを続けています。先日、敬老の日に我が家に弁当が2個(婆ァさんの分と親父の分)が届いているのを見て、ショックを受けていました。母・康子が語る「よく6年間も、会長職が務まったもんだ…」

 さてここで、他の毘沙門町やかまし婆ァさんのことを語っておかないと、祖母・富子に悪い。まずは、大石マルミさん婆ァさんだ。年商1,000万円以上は稼ぐという商売上手。もうすぐ80歳のマルミ婆ァさんが売っているのは、粉末の健康食品。「高血圧からボケ、肥満、骨粗鬆症、便秘、何でもよくなる」という代物。そのほかにも、健康腹巻や磁気ペンダント、模造真珠、洗剤、有機肥料など商品のラインナップも広い。ちなみに富子も、この人から何やかにやと購入させられているらしく、ボヤキと後悔が後を絶たない。

 「この前、心筋梗塞で亡くなった〇〇さん。この健康食品ば食べときんしゃったらねー」「ほら、2月に大腸がんで亡くなった××さん。あの人、ケチやったもんね。買いんしゃれんやった(購入されなかった)もん。これを食べとんしゃったら…」「ほら富子さん。□□さんはいつも買ってくれるから、血圧もいいし健康よ」などと言う。ちなみに常連さんが亡くなったときは「あれは事故」と言い切る。それだけ稼ぐ婆ァさんなので家族からは大事にされているが、近所の人からは好かれていない。

 さて、いろいろと買わされている富子であるが、買った商品はもうお金に戻らないし、押し入れの中で眠っているか、父・琢也や私に売りつけようとする。私は今、婆ァさんから格安と言って売りつけられた磁気マットを敷いて寝ている。私の周りにはいろんな人がいる。これを物語にしてマンガのネタにできないかなァ……いつも考えている。さて、もう一人の毘沙門町3大やかまし婆ァさんですが、これ以上書くと追伸が本編より長くなるので、また、いつか書くこととします。

 4月号からは、資源を大切にというメッセージを込めて再生紙で広報紙を印刷します。非常に紙質の悪いものですが、手に取ってすぐに再生紙とわかるほうがメッセージが伝わります。でも、大丈夫かな?この紙質で……。

(平成4年3月号(追伸:下)に続く)

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