ボクは何処から来て、何処に行こうとしてゐるのだらう……うおおおっ、5月病ぢゃ!

みんなが喜ぶわけではない。意外と敵は身内?

 えええっ、この度は何と申しますか、審査員が血迷ったと言いますか、はたまたマグレと申しますか、全国広報コンクールで入選4席に選ばれてしまいました。だいたい入選号の11月号は、10月号に掲載予定の記事が台風17号と19号に流され、1か月遅れの掲載になったため、怪我の功名とでも申しましょうか11月号がたまたま充実してしまったとゆーもの。しかも、レイアウトは他自治体のパクリ。いやはや、ぱぱぱやん。人の褌で相撲を取ったよーなもの。いやはや何とも…。しかあーし、とは言え何とも嬉しいもんですたい。

 何しろ、他の市町村から「広報紙を送ってくだせぇ」「広報交換をしてくだせぇ」と言った手紙が来る。いや、来るったら来る。気分はもう、ぱぱぱやん。ふっふっふ。あとは嫁さんをもらうだけ(これがまた難しーんだ)。

 「入選したよ」の通知から1か月、あ1か月♪、もう2度と全国入賞に選ばれることのない「広報まんだら」をペラペラとめくりつつ「衛星放送のご契約はフリーダイヤル0120-151515。イチゴが3っつ(意味のないフレーズだ…)。コホム、「広報まんだら」をペラペラとめくりつつ「これでよかったのだらうか」と考え込む日々が続いているのです。「スゲー広報紙をつくりたい」別にコンクールを目標にしていたワケじゃないんですが、いろんな町の広報紙に刺激を受け、そう考えながらやってきて、全国入賞という形でそれなりの成果は出せた。しかし、ボクや係長の次の広報担当者がどう考えるのだろうか…。

 いろいろな職場の若っか者と話すと「広報担当だけはしたくない」と口をそろえるぢゃありませんか。こりゃ、遺憾。後輩たちに広報に取り組む姿勢は見せたが、仕事の魅力は伝えきれていない。広報はGHQの指導で戦後すぐに始まり、先輩方が試行錯誤しながら3年前に私にバトンタッチされた。いずれ次にバトンタッチする日がやってくる(なるだけ早いほうがうれしいが…)。でも、次に「任せときんしゃい」と言ってくれる人がいなきゃ、こりゃマズイですわな。

 今月号を、いい広報、スゲェ広報にすることも大切だが、それ以上に10年後も、いい広報、スゲェ広報を目指し続けることが大切だと考えるようになりました。「次を育てなければ」と考えています。あくまで、コンクールはプロの目から見た広報紙の出来具合の評価であり、住民がどう受け止めるかは別問題だと思い始めています。(ある程度はコンクールの評価と住民の評価は正比例の関係にはあるが…)自分の担当の間のことだけを考えるのは止めました。これからの仕事には次を育てること、育てるチャンスがなければ、機会を見つけて後輩たちに仕事の魅力を伝えることだと思っている、今日、このごろです。

 さて、ちょいとマジになりましたが、5月はイロンなことがありすぎて何を書こうかと迷っています。(良いことから悪いことまで、明るいことから暗いことまで)まあ、4月の人事異動では蔵朝の野羽さんをはじめ、戸二市の澤内さんなどが広報を離れたということで……ううっ。特に澤内さんからは非常に長いお便りをいただき、仕事と人生についていろいろと考えさせられました。

 5月病という訳じゃないんですが、最近はいろいろと考え込むことも多くなりました。仕事のことはもちろんですが、私生活のこと、夢のこと、結婚のこと……。これから自分がどう変わり、何処に行こうとしているのか……。いや、自分とはいったい何者なんだろう……そのせいか、最近はどうも明るい気分にはなれない。明るいだけが取り柄なだけに、なんだか、日々楽しくない。おもしろいことを話したり考えたり、その時は楽しいが、それで終わってしまう。トシかなァ……そういや最近、頭も薄くなってきたにゃあ…。

(平成4年6月号(弐)に続く)

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