石本ブリブリ男のタンクが凹んだバイク

夢中で、エアー・トライアルをする石本

 さて、剛浦の友人に石本という男がいた。ニックネームは「石本ブリブリ男」下校時、草むらで野グソをしているのを剛浦に見つかり、それ以来クラスメートからそう呼ばれるようになった不幸な男だ。がっしりとガタイがでかく顔も強面なのに非常に気が弱く、いつも体育の深田先生からプロレス技をかけられヒーヒー言っていた。入学したてのころは、風貌からちょい悪仲間に入っていた。この仲間のリーダーは鵲木という男で大型バイクを持ち、暴走族にも友達がいた。この鵲木氏、公立大学に進学後は岡福県警に就職。バイクの操作技術に優れ、今は白バイに乗って暴走族を取り締まっている。白バイ隊の隊長らしい。因果な人生である。

 石本もバイクが好きだが、暴走族行為ではなく健全なトライアルをしていた。「ブーン、ダダダダ」と言って箒の柄を握りしめ、バイクに乗ったつもりで教室を走り回り、トライアルの魅力・楽しさを友達に伝えようとする彼の姿は、鮮明に記憶に残っている。その後、トライアルの最中にバイクを谷底に落としてお釈迦にしてしまった。校則でアルバイトが禁止されていたこともあって修繕費用を賄うことができず、トライアルを辞めてしまった。このバイク、以前、新車だったころにも一度だけ壊れている…

 高校2年の夏休み、鵲木と石本、川越の3人がバイクで自宅にやって来た。毘沙門町の海岸を走るついでに寄ったとのこと。鵲木はホンダの400㏄、石本は90㏄、川越は50㏄の原チャリである。この頃は、高校生がバイクに乗るのは当たり前で、私の愛車はホンダノーティーダックス50㏄。ちなみに川越はすごく真面目でしたが、失恋を機にグレ始め(“はしか”みたいなものだけど…)2年生のときはリーゼント(うんこ頭)になり、おまけに剃りまで入れていました。「いよぉ、泰平ちゃん元気?」なぜか、不思議と彼らに人気があり、友達付き合いをしていた。

 雑談をしていると石本が、鵲木の400㏄のバイクにまたがり「オレ今度、大型バイクの免許を取るんだ」「ふーん」「やっぱり大きいバイクはカッコイイもんな~」と言って、エンジンをかけようとセルをキックした。クラッチがローに入っていた。「ブオン」とバイクの前輪が跳ね上がり、石本のバイクを直撃した。石本のバイクは(まだ新車だった)オイルタンクが凹み、ハンドルが曲がり、前輪のフェンダーが裏返しになった。「あーっ、曲がった」「おい石本、大丈夫か?」「あう、曲がった」その後、石本は「曲がった」としか言わなくなった。よほどショックだったのだろう。

 「じゃあ、俺たち帰るけん」「曲がった、ううっ」「じゃあ2学期にまた会おう」「曲がった…」石本は「曲がった」を連呼しながら、曲がったバイクのハンドルを握り、帰っていった。石本は、卒業後に自衛隊に入隊したとうわさに聞いたが、彼の実家の信楽焼のお店も道路になり、今はどこでどうしているのかわからない。まさかPKOでカンボジア?

 高校3年のとき、剛浦と石本は同じクラスになった。絶妙のコンビである。2人は教壇からの死角になる、中央一番前の席(教机の裏側)に陣取り、いつもくだらんことをしていたそうである。例えば、教机の裏側に鼻くそを何個つけられるかとか、三角定規で作った戦闘機を、先生に見つからず何機まで机の上に装備できるかとかを競っていた。そして、いつもミッションに失敗するのは石本で、よく先生から怒られていたそうである。

(平成4年7月号(参)に続く)

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