今回の「うら広報」の書き出しの第2案

役員にはなりたくないのだが…

 今月は、早々に「うら広報」を書いています。印刷屋がお盆休期間中は休みだったため、早目に原稿をあげたのです(大変だったなあ)。また、今月は労働組合の役員改選の月でもあります。各職場区から候補者を出して選挙を行います。どこも同じだと思いますが、誰も役員になりたがりません。私は2回も役員をしているので、今回もパス。安心、安心、久留米ダイシンなのです。と安心したも束の間、光野のアホが「泰平さんを青年部長に…」などとふざけたことを言っています。自慢じゃないが、私、指導力もカリスマ性もゼロ。単なる面白い兄ちゃんでしかないのです。光野、そっとしておいてくれ、こっちを見るな。

 ちなみに「青年部長をすると、結婚が決まる」というジンクスがあります。現在の青年部長の丸金子氏(ニックネーム:ウルトラマン金小丸)の場合も部長になると、あっさりと決まりました。その前の池友氏の場合も同様に、あっさりと決まりました。そーゆー点では魅力のあるポストかもしれませんが「泰平さんがジンクスを壊した」と言われそうで、恐怖でもあります。

 さて、話は前後しますが、今月は長崎市の原水禁大会に参加したため、最初はお便りの書き出しを次の文章にと思っていましたが、暗くなりそうだったので差し替えました。

書出し案~その2

 8月9日、長崎市。台風が過ぎ去った空はどこまでも青く、夏の日射しがアスファルトの路面を焼き、陽炎を浮かばせる。クマゼミが耳を刺すように鳴く。47年前の長崎も、こんな天気だったのだろうか。爆心地公園にはたくさんの人たち、右の手と左の手を合わせ平和を祈る。千羽鶴と線香の匂い。祈りは原子の火で焼かれた人たちに届いたのだろうか。いつもの長崎とは空気が違う。

市内の小学校を訪ねた。校庭の片隅に当時の建物がポツリと残っている。多くの子どもたちの命が失われた。最近、当時の児童の名簿が見つかり、爆死した子どもたちの名前が貼りだされていた。中には、名前だけで学年の分からない子もいた。ふと、沖縄のひめゆり資料館を思い出した。風が吹いた。砂埃が舞う。

 もう何度も訪れた原爆資料館。コンクリートの冷たさとカビ臭さ。「まるで建物の中に、まだ強い放射能が残っている」そんな錯覚に陥る。被爆当時の写真。うめき声の中で、この光景をフィルムに収めたカメラマンはどういう気持ちでファインダーをのぞいたのだろう。自分に置き換えて考えた。

 背中に大火傷を負った少女の目はうつろだ。死期を感じているのか…死の匂いが漂う。その目は私たちに戦争の愚かさ、そして、この長崎を人類最後の被爆地にと訴えているようだ。私にできることがあるとすれば、それはアナタを忘れないこと、そして祈ること。11時02分。およそ半世紀前に原子爆弾が炸裂した、同じ日、同じ時間、同じ場所で、私は目を閉じ黙とうをした。……やっぱり、暗くなりました。う~ん、後が書き辛い。

(平成4年9月号(四)に続く)

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