長崎は今日も雨…じゃなく、颱風が来た!

結局、言い負かされてしまった

 颱風と言えば、8月8日の朝に岡福県にやって来ました。そうです長崎市(労働組合の動員で、原水禁大会)に行く予定の日です。正午。本来ならば、長崎市内でチャンポンをすすっているであろうころ、私は、組合事務所のいすに腰掛け、暴風雨に揺れる外の風景を眺めていました。(ああっ…江山楼のチャンポンが食べたかったよォ…)「台風の大馬鹿野郎」と外で叫んでも、ただびしょ濡れになるだけ。…この動員の中止はなく、ただただ出発できる時間を待つだけ。結局、午前9時半の出発予定が15時半になりました。しかもまだ高速道路は閉鎖状態。長崎までの道のりは遠い。

 もちろん動員とはいえ旅の準備は万全。しっかりと酒と酒の肴を買い込み、到着までの行程に退屈することはなし。しかも一緒に行くのは、うら広報によく登場する良林先輩と後輩のバカ光野である。ただ、責任者は毘沙門町の菊本さん。学生時代からの活動家で、その昔、全共闘運動でマル革派?革中派?よくわからないけどコアな活動をし、大東紛争では大東生でもないのに田安講堂に立てこもったらしいというウワサのガチガチの活動家。考え方が違うので、話もタイプも合わない。触らぬ神に祟りなしと、なるだけ近づかないように関わらないようにしていました。で、バスは長崎へと出発しました。

 交通手段は貸切りのマイクロバス。早々に4合ビンの封を切り、ワイワイと飲み始める泰平と光野。良林さんは家を出るとき奥さんと大喧嘩をしたらしく、静かに飲んでいる。あっという間に「土佐鶴」のビンを空にし、調子を上げる泰平と光野。他の動員者たちは白い目で見ています。その上、おつまみの“キムチ”を開けたものだから、車内からは「臭いわ」「臭いね」と小声での静かなブーイング。迷惑極まりない行動です。活動家の菊本さんも、私たちのふるまいを快く思うはずもなく白目をむいています。しかし、酔ったもん勝ち。4合ビンを4本近く空け、宿につくころにはもうフラフラ。

 宿についたらすぐに懇親会(夕食)が始まり、ビールをガブガブと意気盛ん。街に繰り出す泰平と良林、光野の仲良し3人組だが、いくら酔っても「エイズ怖い」を信条とする3人は「絨毯倶楽部」の前をスッと通り過ぎ「飲み」に徹します。さんざん飲んで、食べきれないほどの肉まんとシュウマイを買い込んで「また、飲み直そうぜ」と宿に帰ります。すると、活動家の菊本さんが「ちょっと泰平君たち、一緒に飲もうよ」と声をかけてきた。ヤベェとは思ったものの、菊本さんはこの動員の責任者。断るわけにもいかず「はあ…」と承諾し、彼の部屋に。

 「どもども泰平クン、今日は台風の中お疲れ様」「はあ、お疲れさまっす」「いやいや、みんな酒が強いね」「イエイエ、ドモドモ」「しかし泰平クン、広報の仕事って大変だろ?」「はぁ、まあ…」(酔ってはいるが、どこか冷静~さわらぬ神に祟りなし~死して屍拾う者なし)「しかし、広報まんだらはヒドイもんだ。記事の選択に疑問を感じるね」「はぁ~、そうですか?」(関わるまい、乗せられまい…)「そうそう例えば〇月号の特集は、まるで御用記事じゃないか。×月号の環境問題の記事も人間性を疑うねェ」(ワナワナ…遺憾。乗せられまい…)「広報大会で賞を取ったらしいけど、あれって市町村回しの順番だろ?」

 しかしまあ隣町の広報紙なのに、この馬鹿…いや、コイツよく読んでいるなあ…と感じつつ“カチン”ときてしまいました。もちろん、相手はたたき上げの活動家。議論しても言い負かされるとは思いつつ、反論をしてしまったのです。つまり乗せられてしまったのです。あとは口論。口角泡を飛ばす状態です。もちろんベロンベロンに酔っ払った私には理論立てて議論を展開する術もなく、言い負かされ「お前なんか、お前なんか、大嫌いだ」を捨てゼリフに自分の部屋に逃げ帰りました。部屋に戻った3人は、さんざん菊本の悪口を言い、酒をがぶ飲みし悪酔いをしたのでした。

 朝です。まだ酔っていて朝食もノドを通りません。「君たち今日はどうしたの?大人しいね」と、菊本の勝ち誇った声が宿酔いの頭にガンガンとこだまします。2日目は被害の大きかった小学校や原爆記念館を巡って会場に…。「あっ、隣の会場には宮沢りえ…じゃなく総理が…、あれは田辺書記長…テレビと同じ顔だ」とキョロキョロしながらはしゃぐ光野。と、突然、背後から怒号が聞こえます。挨拶に立った某党の代表に対する怒号です。「ヒエッ」振り返ると、怒号の主は活動家の菊本氏です。「静かにしてください」の注意にもめげず、叫び続ける菊本氏。ある意味、ただ者じゃない。

(平成4年9月号(参)に続く)

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