俗に言う「ケがなくて、よかったね」の話

後ろ姿に哀愁が…

 さて先日、毘沙門町3大ウルさ婆ァさんの1人、大石マルミさんが遊びに来た。ちなみにまんだら市の広報担当の私・泰平は隣の毘沙門町に住んでいる。また残りの2人の婆ァさんは、私の祖母・富子と濱地オミヤさんである。(以前から、うら広報をお送りしている担当者はご存知ですよね)。マルミさんは1か月ほど前、転倒してコンクリートの床にしこたま頭をぶつけて硬膜下出血になり、大手術をしたばかりである。一時は記憶がおかしくなり「マルミしゃんは馬鹿になった。もう長くはないだろう」という祖母・富子の期待を裏切り、一昨日、退院したのである。

 さすがに病み上がりということで、以前のような元気さはないものの、あと3か月もすれば元に戻るとのこと。「いやー、わたしゃ松尾和子と同じ病気やったとよ」マルミさんは、いかがわしい健康食品を売り歩く、年収1,000万円超えという81歳の婆ァさんである。「松尾和子は死んだけど、やっぱり生死の境目を分けたのは、この健康食品よね」病み上がりとはいえ、商魂たくましい婆ァさんである。

 さて、マルミさんは他の2人の婆ァさんとは異なり、配偶者がいます。金三郎さん88歳である。「あなたが死んだら、立派なお葬式を出してあげるワ」と常々、奥さんからラブコールをおくられる金三郎さん。以前、校長先生をしていたこともあり、毘沙門町老人クラブの文化人。腰も曲がらずかくしゃくとし、つやつやと光り輝くハゲ頭は貫禄さえある。日の丸会に入り、世間の人たちからも尊敬の高い金三郎さんであるが、実は養子である。そのため、夫婦げんかの後は「どうせ、ワシは養子だよ」と捨てゼリフを吐くそうである。奥さんには弱い金三郎さんであったが、この人2年ほど前に交通事故に遭っている。

 もっぱら移動手段は自転車という金三郎さん。交差点を横断中に車とぶつかり、頭からフロントガラスに突っ込んだのだ。ガラスは粉々に砕け散り、金三郎さんの頭は後部座席まで達している。明治生まれのお洒落なオールドファッションに革靴という足の部分が、運転席からニュッと突き出す。目撃した誰もが「死んだ」と思ったそうである。事故の知らせを受けたマルミさんは病院へ…。変わり果てた夫の姿を思い浮かべながら緊急治療室に入ると、ハゲ頭に絆創膏を1枚貼った金三郎さんの姿。俗に言う「ケがなくて、よかったね」というヤツである。その姿を見たマルミさんは、絆創膏を指さして大笑い。

 大変な目に遭ったのに、妻に大笑いされちゃあ世間体が悪い「何がおかしい、何を笑っとるんだ、ワシは死ぬとこじゃったんだぞ」金三郎さんは大きな声を上げたそうである。しかし、マルミさんは動じることなく「どうせ、あなたがフラフラしながら自転車に乗ってたんでしょ。もう爺さんなんだからウロウロ出歩くのはよしなさい」と切り返した。もちろん、病院の緊急治療室で激しい口喧嘩になったとのこと。でも、最後に金三郎さんはポツリとつぶやいたそうです。「どうせ、オレは養子だから……」

 明治生まれの人が感じるほどはないが「養子」という言葉には、暗いイメージがある。私も地域で働く次男坊ということもあり「養子」の話は結構あった。中には「養子」でさえなければ、うれし涙を流したくなるほど素敵なお嬢さんもいた。男女平等の原則から言えば「嫁入り」も「婿入り」も同じことである。頭では理解している。しかし、必殺仕掛人の中村主水しかり、金三郎さんのような紳士ですらこのとおりである。私の近所に養子に来た人は、名前で呼ばれず(もちろん、本人と対峙するときは名前で呼ぶが…)何年たっても、いくつになっても「〇〇さん家の養子さん」と呼ばれ続けるのである。

 「大事にされるよ」「お金持ちだよ」「娘さん、美人だよ」といろいろとお誘いはあるのだが、何だかタマシイを売り渡すような感じがして、養子は嫌なのである。(こういうふうにワガママを言うから結婚ができないのかなァ…)もし担当者さんで、養子の方がいらっしゃったらゴメン。

 しかし、どうも最近うら広報には身近な人物が登場する。光野など最初の頃は「ボクのこと、勝手に書かないでくださいよ」などと言っていましたが、最近は自分のことが載っていないと「先輩、寂しいやん」と妙にせがんでくる。また、同じ職場の代田さん(いえ~い、唯一の独身女性だぜ)も「この前、県の研修のとき“うら広報に載ってましたね”って言われたんですよ」と、笑顔。いやはや、乗せたほうがイイのやらどうやら…。

(平成4年11月号(参)に続く)

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