パチンコ台に淡雪のように消えていく千円札

負、負、勝、負、負

 さて、この前お雑煮を食べたばかりだというのに、もう、2月がやって来る。ちなみに2月号はちょいとばかり力を入れちゃったもんで、1月は5日から深夜まで残業の土日なしの日々、本当に、あれよあれよという間に1月が駆け抜けて行ったような気がします。しかも「忙しい」と言いながら、まるで日春市の藤内君のように頻繁にパチンコ店に行き(本当に忙しいのか?)負、負、勝、負、負と、まるで千円札が淡雪のようにパチンコ台の中に消えていく月でもありました。さて、バブルがはじけ、世の中が不景気になると流行るのがパチンコ。今まで見かけなかったようなタイプの人がやって来ます。

 「畜生」「馬鹿野郎」「殺すぞ」などとブツブツつぶやきながら、パチンコ台に向かう主婦…、しかもくわえ煙草だったりする。また、妙になれなれしく話しかけてくるおじさん。「出らんね、俺、もう打ち込んだよ、たいへん、3万円」さすがに3万円分の玉を打ち込みウンともスンとも言わないと、もう、言葉も滅茶苦茶。よく見ると眼に涙を浮かべてたりする。まあ、こういう人たちは害がないにしても、台をバンバン叩いて大声を上げるパンチパーマのお兄さん、また、呼び出しボタンを頻繁に押して店員を呼び「出らん」を繰り返して主張するおじさんは、ちょっといただけない。

 パチンコなるものを始めてやったのは、中学生の頃(不良だね~:いやいや、別に通っていたわけじゃない)。予備校生だった兄に連れられ入店し、当時、人気だったアレンジボールにはまってしまったのである。パチンコ歴18年ともなると、いろんな場面に遭遇するものである。以前の「777」のフィーバー台は出玉制限がなく、超特大の木箱を2段も3段も積み上げていた人がいたころ。その箱をひっくり返して大騒ぎを起こす人。箱を持ち上げ、ぎっくり腰になる人(釈迦弁では“へき”という。語源はドイツ語らしい)。そのほか、トイレに行っているスキにその玉を盗む人、いろいろである。

 最近は市内のパチンコ店も増え、10件。役所の連中ともよく会う。中には20や30連荘など、不幸の始まりとも思える勝ち方をするヤツもいる。換金すると15万円以上になる。こんな勝ち方をすると、一度に3万円も4万円も打ち込むようになる人が多い。甘い汁を吸い過ぎると反動は大きい。ちなみに波津老人クラブの平山清氏の場合、60歳まではすごく真面目に働くお百姓さんだったが、同クラブの会長:山岡惣輔氏に連れられ競艇(岡福ボート)に行ってボロ勝ちし、その後、競艇狂いとなってしまったのである。(参照:平成4年3月号(追伸:上)~行政区老人クラブの仁義なき闘い(その1))

 平山清さん「きよっしゃん」と皆から呼ばれている、私の遠縁に当たるこの爺さん。若いころは農作業の合間に荷車を引いて博多まで行き、肥しとなる糞尿と野菜とを交換するほどの働き者であった。米作りも野菜づくりも上手で「働き者のきよっしゃん」と、地元での評判も高かった。もちろん、酒も飲まない「石部金吉」だったのである。しかし20年以上前、前記のとおり岡福ボートで千円札が150万円になり、人生が狂う。「汗水たらして働くのはアホらしい(後日、この言葉は口癖となる)」とばかり競艇に通い、借金を重ね、美田を売り、畑を売り、現在に至るのである。

 まあ、あくまでもギャンブルは遊び。節度をもってやりたいものです。勝てばもちろんうれしいですが、負けたとしても、少なくとも逆境には強くなりますよ。ギャンブルというものは…。

(平成5年2月号(弐)に続く)

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