思わず「してやったり」とほくそ笑んでいます

学生の頃から、細野さんのファンでした

 さて、地元ネタは結構ウケが良い。実名入りだったりすることもあり、人間関係の妙がリアルだったりするのかもしれない。しかし、私はたいそうな間違いを犯していました。このうら広報、釈迦郡(特に毘沙門町)以外のが読むんだし、別に登場人物を特定できるわけじゃないんで、問題ないと思っていたのです。すると先日、同じ課のうら広報のファンである代田さんが「泰平さん、実名入りで出して大丈夫ですか?」と聞いてきました。「どうして?」と応えると「うちの母、毘沙門町出身なんで、誰のことを書いているのかわかるらしいですよ。ウケてますけど」「うげっ」盲点である。こいつ、母親に見せたのか…。

 もし、代田さんのお母さんから「ふふん泰平さん、ばらすわよ」などと言われたら、もう、毘沙門町には住めなくなる。そう、額に擦り傷ができるほど頭を畳にこすりつけ「それだきゃあ、それだきゃあご勘弁ください」とお願いするしかない。下手すりゃ、下僕にされるかもしれない。次号からは、仮名で書くことにしよう。でもリアルさは捨て難い。

 1月から2月にかけて、たくさんの広報マン・ウーマンからお便りをいただきました。そう、あの磨播町のそら豆君からもいただきました。相変わらず封筒の宛先には「まんだら市役所 企画課 広報公聴係 Hage 泰平 楽様」と書いてある。頼むから宛先に”ハゲ“と書くのだけはやめてほしい今日この頃である。今年も、磨播町は庫兵県広報コンクールで特選生ワサビおろしたてになったとのことで、いやいや、まことにおめでとうございます。送られてきたお便りは、かなりハイテンションな状態でしたためられていたようで、文面はかなり乱れていました。

 どうも“そら豆君”が気に入ったようで「ワテは生まれてこの方“そら豆”なんて言われたこと、あらへん(関西弁のイントネーションで読むべし)」と、しっかりクレームがつけてありました。傷ついたのかな…と、思わず「してやったり」とほくそ笑む泰平でした。彼は、鵜瀬というウゼえ名前の男性で、岩手県での広報大会のときに一言二言ことばを交わしただけ。顔の細部までは覚えていない。ただ“そら豆“に似ているという印象が強く、今後も”そら豆君“あるいは”ビーンズ柳瀬“と呼ぶことに…おっと、仮名で山田君ということで”ビーンズ山田“と呼ばせていただきます。……「してやったり」

 そのほか、土高町の沼天さんからもお葉書をいただきました。今年も島福県で特選とのことで、安定した広報紙の出来栄えに、ただただ頭の下がる思いで読ませてもらっています。葉書も行書でサラサラと達筆で(有段者かな?)すごいですね。そのほか、賀遠町の草牛君や野北町の林光君(3月の研修会には来れないかもしれんそうな…)そのほか、たくさんのお便り、ありがとうございました。思うに、このお便りというヤツ、広報紙づくりに疲れ果てた戦士(広報マン・ウーマン)のカンフル剤みたいなものですね(ただし、封筒の宛先に“ハゲ”と書くのは止めようぜ…俺にも、立場ってもんがあるんだ)。

 3年前、美宇町(乃梅さ~ん元気かい?)から送られた広報紙に添えてあったお便りに感銘を受け、持って生まれた自己顕示欲に火が付いて始めてしまった、うら広報。自分自身の性格とは裏腹に「面白い人」というイメージがついてしまいました。ここだけの話ですが、結構、私・泰平は暗い性格なんです。どのくらい暗いかというと、子供の頃、三角定規の真ん中の丸い穴に指を差し込んで抜けなくなって大騒ぎになったり、ビー玉を鼻の穴に入れて抜けなくなって大騒ぎになったり、抜き差しならない暗い過去があるんです。人はみな、人には言えないような暗い過去の一つや二つはあるもんなんです。(おい、マジかよ)

 と、馬鹿話もほどほどに、筆を置きます。3月の県の広報研修会には酒を持参し、参加します。兎にも角にも何か楽しい話題がありましたら、お便りをお待ちしています。OH、カンフル剤(間違っても、覚せい剤ぢゃないよ…)。

ううっ、今日の夜は消防団の班長会だ:泰平 楽 (1993年2月24日)

Follow me!