参加できなかった「2度とやらない九州ツアー」

 さて、今回の旅行は老夫婦が多く、いろんな人と仲良くなるに従って私の親父が「うちの息子は33歳にもなるのに独身で…困ってるんですよ。誰かいい娘さんいませんかねぇ」と言うて回っています。「おい、やめろ、よせ」と思いながらも反論できず、ただただ笑顔で応えていました(なさけなや)。宗像市で区長をしている人が「姪に可愛いとがおるき~、紹介してよかが、まだ21歳やき~」“はは、21歳は話が合わんき~”と思いながら笑顔で応じていると「けど、姪は面食いやき~、ダメと思うき~」“ははは、悪かったな”まあ、韓国での話は、いずれ皆さんと酒を飲むときにでもお話ししましょう。

 人事異動から1か月、たくさんの人からお便りをいただきました。私は広報5年生になりました。おまけに企画課から独身女性が一人もいなくなり、殺伐とした職場環境になりました。先日、賀古町の野中さんから連絡があり、人事異動で広報を卒業したとのこと。「広報の鬼才と言われた野中さんが…」とショック。珂那川町の志浦君からも電話があり「泰平さん、野中さんが異動だって、俺ショック。目標だったのに…」「うん、わかる、僕も同じだ。野中さんは凄かったからなぁ」「野中さんの追悼式をやりましょうか?」「いや、なくなったわけじゃないから」と受話器を握りしめて異動を惜しむ2人の男。

ちなみに広報担当になった平成元年、初めて「広報がこ(方言特集)」を見たとき、それは、それは、驚きました。「すげぇ」これが広報という仕事にのめり込む大きなきっかけでした。いわば婚期が遅れてしまったのは野中さんのせい(何でも他人の責任にしてしまうと気が楽)と言っても過言ではない。先日の県の研修のとき「“賀古町見聞録”は野中さんの置き土産になるかも…」とのうわさもあったが、現実に異動で広報からいなくなってしまうと、ショック。目標がなくなったようで…、でも、あまり賞賛しすぎると野中さんの次の担当者がやりにくいでしょうから、ここまでにします。

 そのほか、和昭村の田角さん(コイツ、異動前に結婚…ううっ、おめでとう)や磨播町の鵜瀬くん(ううっ、もっと遊びたかったのに…)、美加町の中今さんも…たーくさんの人が卒業してしまいました。うっ。しかし、代わったものは仕方がない。先日、異動した美加町の中今さんから電話があった。「4月10日、福岡に行くから遊びにおいでよ」とのこと。そう、各地の広報担当者が参加し“青春18きっぷ”を使って、鈍行列車で東京から福岡までやって来る「2度とやらない九州ツアー」です。限界町のシャブ野中さんが中心となって企画したイベントです。

 しかし、前々から計画していた「花見」とスケジュールがダブってしまいました。この花見、昭和60年ごろからやっているもので、企画の中心の一人だったので、参加(と言うより運営)せざるを得なかったのです。しかし、花見が終わって電車に乗れば「博多駅」に間に合わないこともない。悩んだあげく、どちらも出席しようという甘い考えでした。そう、アルコールを口にするまでは…。全国から集まった広報担当者がワイワイとやってるころ、博多駅で万歳三唱をやっているころ、私は泥酔し、スナックのソファーの上で深い眠りについていたのでした。

 さて、今月号のうら広報はタイムリミットです。そろそろ6月号の編集に入るので、これで終わります。何か楽しい話題、あるいは、泰平さんのお嫁さんにおススメというお嬢さんがいたら、お便りをください。待ってま~す。

 う~ん、韓国から帰って来ると、誰もそばに寄りつかなくなってしまったよーっ。

エッチなことしてない…、誰も信じてくれない:泰平 楽 (1993年4月28日)

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