人は何を考えているのかわからない

 …ったく、7月は北海道で地震はあるワ、たいへんです。北海道や東北、日本海側の市町村の皆さん、大丈夫でしたか?いえねぇ、あの日は残業して、家に帰るとニュースで地震があったと言うとりまして、津波が来るのどうのと大騒ぎ。広報交換をしている浦深町もテレビに出ているし…。翌朝、さらに驚いたのが奥尻島。ものすごい天災です。九州では雲仙普賢岳の火山災害もあっている。科学技術が進んでも、自然の力には勝てません。さて7月は、ちっとも楽しいこともなく”元気が出る裏広報”を目指す私も、すっかり落ち込んでいます。というのも、あの事件があったからです。

 広報を担当して4年4か月、号外まで含めると54号の広報紙を編集してきましたが、こういう、イヤな、情けない思いをしたのは初めてでした。それは、たぶん役所を退職するまで忘れることのできない事件でした。その事件は、この8月号の広報紙を編集しているときに起こりました。広報まんだらには「街の若者」というコーナーがあり、20歳代の若者を紹介しています。今回は、かまぼこ店の跡継ぎの青年の記事が載っていますが、本当は別の人物が載る予定だったのです。その人物は中国人の青年で、市内に企業で働いている人でした。

 広報担当者としては市制施行から10か月、この青年を紹介することで国際化を市民の皆さんに身近に感じてもらい、今後のまちづくりに活かしたいと考えたのです。早速、係長と2人で青年の働く職場に取材に行きました。青年は背が高く2枚目で、感じの良い人。まだ来日して1年余りで言葉が通じない部分もありましたが、何とか取材ができました。とても真面目な青年で、北京工業大学を卒業して国内で就職しましたが、どうしても日本の先進技術を学びたいと、来日。九州大学大学院で1年学んだ後、市内の会社で勉強を兼ねて働いているとのこと。「日本と中国の友好の懸け橋になりたい」と、彼は語りました。

 役所に戻って記事を書き、10時過ぎまで仕事をしていると青年から電話がありました。記事を見たいと言うのである。取材をしたのが勤務時間中だったこともあり、いろいろと心配している様子。もちろん、会社了承の上での取材だったが、再度、会社の承諾を得て青年に会いに行った「何も心配することはないよ、社長さんの承諾も得ているし、広報紙の紙面で紹介することで日中友好に役立つよ」と青年に説明し、記事の修正も行った。しかしその日の夕方、今度はその青年が役所にやって来た。1時間ほど話し、もう一度説明し「個人的に友達になりたいね。今度、一緒に飲もう」など、いろんなことを話した。

 「中国の人って慎重だね」「青年は頭が良くて真面目だからなァ」そんなことを係長と話したりしていた。その翌日も青年はやって来た。今度は一部手直しをしてほしいという。2時間ほど文言一つひとつを吟味し、彼の希望通りすべて書き直した。すでに初校段階に入っていたが、ぜひとも紹介したいという気持ちとあくまで取材記事なので、本人の意思を大切にしたかったのである。「この心配ぶりは、ちょっと病的かなぁ」とは思ったものの「きっと国民性の違いだろう」と思っていた。最終的には彼も納得し「選挙が終わったら飲みに行こう」「いつか、手作りの餃子をご馳走してね」「日本語を教えるから、中国語を教えてね」など、いろんなことを話し、彼と握手をして別れた。

 しかし、選挙の日に彼はまたやって来た。「どうしても日本語に自信がないから、掲載を見合わせくれ」というのである。最初は何とか説得しようと考え、開票前の数10分間、再び彼と会うことにした。しかし、彼の表情を見ると説得する気にはなれなかった。とても真剣で、少し目が赤くなっていたのだ。結局、印刷会社の担当者に電話で事情を説明し、スケジュール調整を行い、申し出どおり掲載を見送ることにした。いつか日本語が上手になったら、また登場をお願いするから…。しきりに「ごめんなさい」という青年をなだめ、握手をして別れた。何度も、何時間も話したので、彼の人柄はよくわかっていた。窓から、彼が自転車で帰る姿が見えた。それが、彼を見た最後だった。

 2日後、彼は亡くなった。自殺だった。

 もちろん、広報紙への記事掲載が原因ではないが、あれだけ何度も会い、何時間も話したのに…、もちろん言葉が上手く通じ辛いことはあったが、青年が死を選ぶほど悩んでいたなんて全く分からなかった。ものすごくショックだった。人間というのは、わからない。とても情けなく嫌な思い出となった。「広報は人と人ととの触れ合いだね」など、えらそうなことを言っていた自分が恥ずかしい。本当に触れ合うことなんて、稀なことなのだ。そして、人と触れ合うことはものすごく怖いことなのだということを痛いほど実感した。

 自分以上に、係長の方がショックだったようだ。係長は、前の職場が文化課でいろんな人との接触も多く、人との交流を楽しみにする人である。この中国人の青年との出会いは、係長にとっても今後の楽しみだったようだ。「広報って、怖いね」と、係長はつぶやいた。

(平成5年8月号(弐)に続く)

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