平成元年9月:像宗市さんへの手紙

こんにちは、曼荼羅町で広報紙を作ってる泰平といいます。(こんな顔です)
今年4月から、人事異動という運命の悪戯(いたずら:常用漢字以外には、すぐにルビを打ちたがる条件反射が悲しい)でこの仕事をするようになりました。うっうっ(泣いている状況)。29歳にもなって、奥さんも彼女もいない私にとって、婚期が遅れる可能性を秘めたこの仕事には哀(かな)しいものがあります。
さて、閑話休題(あだばなしはさておき)いつも像宗市さんの広報を読ませてもらい「カッコイイなぁ」と思っておりました。そしたら全国大会にも通用するような代物じゃあないですか。こんな近くにあんなスゴイ広報紙を作る人がいたのか、と思い、近くにあったトンボ鉛筆を手に取った次第です。はい。
全国大会で入賞することが目的じゃないにしても、広報未熟児の私にとって尻知り合い(初めてのお手紙で知り合いになろうと呼びかける図々しさ)になってほしいな。なったらうれしいな(どうだ、自分勝手だろう)と思いました。
ってな訳で、今後もお手本にさせていただきますので、貴市の広報紙を送ってください(ちなみに8月号から送られてきてないんだもんね)。それから、わからないことがあったら教えてください。お願いします 。
追伸
マンガを描くことと労働組合(先月まで書記次長をしてたんだい、エヘン)しかできない頭髪が薄くなり始めた私ですが、よろしくお願いいたします。
毎年、日本広報協会が実施する「全国広報コンクール」というものがあり、当時は、広報紙については、市の部と町村1部・2部の3部。そのほか、写真は1枚と組み写真などがありました。コンクールは各県で審査された作品が出品され、特選や入選などの順位がつけられていました。
岡福県でも、毎年、県の広報コンクールが行われ、各部での特選作品が全国コンクールに出品されていました。本県はレベルが高く、毎年、全国コンクールでベスト10に入っていました。
県では、レベル向上を目的に、毎年、市町村担当者を対象にセミナーを行っていました。