久しぶりに純粋な釈迦弁を聞けて、懐かしい…

 ううっ10月になってしまった。夜を重ねる毎に肌寒さが増し、アルシンドもアデランスをつける秋になってしまいました。そうです、人恋しさが募る秋になってしまったのぢゃ。秋よ、秋、秋、水沢アキ。そう、10月1日は、まんだらが市になってちょうど1年。市民まつりだなんだの、広報の締め切りなどお構いなしにイベントがやって来る。というワケでイベントが始まる前にこの裏広報を書き上げなきゃ…と思って頑張ったのですが、どーも内容が暗い。ううっ暗い暗い、どーも書出しのテーマを「ううっ、人恋しいよー」にしてしまったのが悪かった。ってなわけで、幻の裏広報として闇に葬ることにしたのぢゃ。

 さて、10月号の裏広報は「空き缶などのポイ捨て禁止特集」。9月号の「生きがい特集」「防災特集」と広報コンクールへの出品を意識しながら編集した勢いそのままに10月号に取り組んでしまったのぢゃ。そう、野北町まで取材に出かけてしまったのぢゃ。野北町の広報担当者といえば、県内の広報関係者は知っている人は知っているが、知らない人は知らないという林光氏である。「こんにちわ」9月中旬に野北町役場に行くと、あの酒グセがわ林光氏がいた。「えっおっ、いっやぁー泰平さん久しぶり」あの、久留米弁?独特のイントネーション、まさしく林光君である。

 福岡県以外の人には区別がつきにくいと思うが、県内の方言は地区によって微妙に違う。北九州地区は北九州弁、福岡地区は博多弁、田川や飯塚地区は筑豊弁、久留米や大牟田地区は筑後弁である。ちなみに釈迦地区は博多弁で、さらに詳細に区分すれば釈迦弁になる。釈迦地区でも末蘆市と隣接する浄土町は、末蘆弁の方言が色濃く影響している。ちなみに「しろしい」という言葉は博多弁の代表格だが、元々の出所は釈迦弁らしい。さて、2年ほど前のこと…、若いころまんだら町に住んでいたという東京都民から電話をいただいた。「広報まんだら」を見て懐かしくなって電話をしたとのこと。

まんだら市内の親類が送ってきた宅配便の緩衝材が「広報まんだら」だったそうである(こーゆー使い方もある、裏広報6月号の主婦よ見習いたまえ)。「広報紙を見て懐かしくなって電話したんですが、町の人口が5万人に近づいたそうで、街の風景も変わったみたいですね」標準語だ。標準語には標準語で返すのが礼儀である。目には目を、歯には歯を、埴輪には埴輪をである(意味不明)。ところがどっこい私は隣の毘沙門町の出身で、昔のまんだら町のことは知らない。ちなみに婆ァさんの富子は、まんだら村出身なので婆さんから仕入れた、明治・大正時代の知識ならある。

 「はあ、そうですねェ…昔は軌道が走っていたそうですが筑肥線になり、今は電化されて福岡市営地下鉄と相互乗り入れしていますよ」富子婆ァさん情報では、軌道があったのは明治時代のことである。「ほう、昔は軌道が走っていたんですか?」(遺憾、的外れな応えをしたようだ…)「しかし、地下鉄と相互乗り入れになったのなら…街の様子も変わったでしょうなァ…」「はい、市制施行の話も出ていて都市化が進んでいます。そうですねぇ、宗像市や太宰府市の後を追っているような感じですね」「ほー、宗像町や太宰府町も市になっているんですね…」

 どうも…話がかみ合わないまま、20分程度お話しした。「いやー、ありがとう、今日は電話して本当に良かった」まあ、喜んではくれたようだ…「街の様子はよくわからないけど、久しぶりに純粋な釈迦弁を聞けて…本当に懐かしい、ありがとう」「……」私は一生懸命に標準語で話していたのに…ううっ。ちなみに釈迦弁を含め、博多弁には独特の言い回しがある。目上の人に話しかけるときなど「あのですね…」や「それがですね…」を加える。「あのね…」や「それがね…」の丁寧語なのだろう。また「ねえ、知っとう?」で話し出す場合は、注目を得たいときである。

 まあ、方言の話はこっちに置いといて、野北町の林光君の話を続ける。ポイ捨て条例担当職員が(事前調整つかず)不在だったため、担当に替わり広報の林光君が取材に応じてくれた。メモを取り、記事の大まかな構想ができた。もちろん広報紙には書けない裏話や苦労話も聴いた。で、最後に彼が付け加えた「いっやー、条例ができるまでは色々ありましたよォ。地方課やマスコミ…。でも今、この街を見てもらえばわかると思いますが、ゴミは一つも落ちていません。条例の中身より、ひとつのことに住民が取り組んで意識を変えていったんですよ。この町で働けることを誇りに思いますよ」

 あの(知っている人は知っている)林光君の言葉である。しかし、職員が誇りに思える町というのはいい。正直、少し感動してしまいました(林光ちゃん、ありがとー)。…で、当日の野北町は、雨。もちろん記事を補強するため、住民インタビューを予定していた。以前、太宰府市を取材したとき写真を撮る段階になって拒否されたという苦い経験から、取材対象者を林光君に依頼していた。1人は紹介してもらったが、もう1人は自力で見つけることになった。雨は激しく降り続く、人はなかなか見つからない、時間だけが経つ。ちなみに取材原稿の締め切りは、翌日の朝。

 帰ったらすぐに原稿とレイアウトを完成させなくてはいけない。まさに綱渡り状態で、気ばかり焦る。すると、トボトボと歩くご老人が一人「よし、インタビューだ」雨の中を走る「すみません、まんだら市の広報ですが…少しお話を訊かせてください」日吉さんという人である「いや、忙しいから今、法務局に行ってるから…」という。それを引き留め、話を訊いた。「野北町がごみのポイ捨て禁止条例を制定して1年になりますが、街の様子はどのように変わりましたか?」「うーん、そうだなァ…ゴミが散らかることはまずない。最近はボランティアも多いし、いろいろ活動してる…じゃ、法務局に行くんで…」

 「ちょっと待って…もう少しお話を…。えーと住民の意識についてですが、日吉さんやご家族など何か変わりましたか?」「そうねぇ、自分の町だから自分たちで考えなきゃって、美化意識は芽生えたようだねぇ…じゃあ法務局に行くから」法務局に行きたくてたまらない日吉さんを引き留め、いろいろと伺った。「じゃあ最後に写真を撮らせてください」「えっ写真?」あちゃー、断られるのかなーという嫌な予感とは裏腹にポーズを取り始めた「ん、こうか?」後日、広報紙を送る約束をし、日吉さんと別れた。取材後、事務所に戻ってヘロヘロに疲れた体にムチ打ち、原稿作成。終わったのは午前0時を過ぎていた。

(平成5年10月号:発行版(中)に続く)

Follow me!