行政区老人クラブの仁義なき闘い(その1)

軍人恩給の支給月には、なぜか顔を出さない

 ううっ、ボク泰平。しつこく追伸が続きます。(いや本当、お便りを書き終えたころ、ノッてきちゃったんですよ。夜は長いしデートもないとくりゃあ、時間はたっぷりある。えっ、漫画の構想を練ったらどうだって?「描けない」というプレッシャーが襲ってきて自己嫌悪に陥りそうなんで、ついついお便りを選んじゃうんだもんね~、と言う泰平はもうすぐ32歳のいなせな男だぜHei!)ネタが沸いてきたんですよ、身近なところから…。私の婆ぁさん、そう、祖母の富子のことです。

 思い起こせば7年前、当時、老人クラブの会長だった山岡惣輔さんが病に倒れ、両足を切断するという不幸な出来事から始まります。次の会長は誰?明治生まれの彼らにとっては男性の会長を望んでいたものの、男性陣はまだ若く、頼みの平山清さん(当時72歳)は、競艇狂いでアル中。女性から選ばなければという結論になりました。候補に挙がったのは、矢原タエさん(元町会議員:会社党)と②泰平富子(現毘沙門町3大やかまし婆ァさん)の2人。人格の点では矢原さんだったが明治生まれの老人のこと、会社党は田畑などの財産をむしり取る恐ろしい政党と思われており、やむなく祖母の富子に決まったのでした。

 しかし候補に挙がらず、秘かに会長の座を狙っている人物がいました。山末の婆ァさんです。でも決まったことは仕方ありません「富子(私の祖母)さんが頭を下げてお願いにくれば、大嫌いな富子(しつこいが私の父の母)さんでも、会計なら引き受けてやろう」と思っていたのでした(これは後日、羽柴ナヲさんが密告)。富子(私の血のつながった婆ァさん)は密告を受け「私は太っ腹、気にしとりません」という素振りで、タネさんやミネさんなど近所の婆ァさんたちを味方につけ、山末の婆ァさん追い落とし作戦(本人は「そんなことはしてない。彼女には人望がなかっただけ」と語る)を展開。不服を漏らす会員を抑え込み「人事権は私のものよ」とばかり矢原タエさんを会計に据えたのでした。

 これに気づいた山末の婆ァさんは、キクさんやハナさんを味方につけ反撃に出たものの、時すでに遅く、老人クラブ幹部から外されたのでした。そこで3人は、老人クラブ行事のボイコット作戦に打って出ます。しかしキクさんにボケが始まり、頼みのハナさんも足を骨折、戦線を離脱していきました。富子(ワシの婆ァちゃん)は、ここぞとばかり会長権限でお見舞い攻撃を慣行。そのうち、キクさん(今は、仏様のように優しい性格になり「ありがとう」を連呼)とハナさん(結局、寝たきりになり施設に入所)は力を失い、山末の婆ァさんの孤立が進んでいったのです。

 1年が経ちました。山末の婆ァさんは老人クラブの行事には一切参加せず、富子・タエコンビの力は強まるばかり。会員からは「富子はワガママだから嫌い」という声もボチボチ聞こえ始めましたが、人格者の矢原タエさんが「そんなこと言っちゃダメ。富子さんだって大変なんだから」とみんなの不満を抑えていました(映画「仁義なき闘い」みたい)。そのころ山末の婆ァさんは、競艇狂いの平山清さん(当時73歳)を取り込むため、酒を飲ませたり競艇に行くお金を貸したりしていました。しかし、もともと頼りになる人ではなく、富子から2万円、矢原タエさんからも数千円の借財があり「軍人恩給が出たら、必ず返す」を繰り返すばかり。とうとう山末の婆ァさんは、完全に孤立したのでした。

 そんなある日、老人クラブの会食の席で「山末さんが孤立している。このままじゃよくない」と富子が提案。「富子さんがそう言うなら、ああた(あなた)が呼んできんしゃい」ということになり、山末さんちに足を運びます。人格者の矢原タエさんは心配になって、少し後ろからついてきていました。

(平成4年3月号(追伸:中)に続く)

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